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1: 神とは

神を知ることができるのか

「神」と聞くと、目には見えないけれど遠くから私たちを見ていて、必要な時にだけ呼び求める対象としてとらえがちです。神とは何なのでしょうか。そして、この不明確な存在である神を私たちは知ることができるのでしょうか。

多くの日本人は「宗教は仏教です」と言いますが、それでも神社での初詣や七五三のお祝いなど、神道の慣習を大切にします。さらにはクリスマス祝ったり結婚式はキリスト教式で挙げたりします。そして葬儀が仏式で執り行われます。このように私たち日本人が一般生活において多数の宗教に関わるとき、それが信仰に基づいているとは限らず、伝統、文化、トレンドに影響されていることが分かります。宗教イベントに参加しても、その宗教が教えている神を知った上での行動ではないのです。

また、日本には「八百万の神」という神道の教えの影響で、自然神(日神、風神、雷神、山神、水神)、人間神(女神、先祖神、英雄神)や職業の神(農業の神、漁業の神、交通の神)または、福をもたらす七福神など、無数の神々を崇拝する習慣も多く見られます。だからと言って日本文化や習慣が、これらの神々が実際に存在するのか、また神々の実態や性質は何なのかということを教えているわけではありません。

知ることができる聖書の神とは

聖書は神の自己紹介の書物と言われています。聖書にこそ、真の神とはどのような存在であるかがはっきりと書かれています。そこでは神という存在は無数ではなく、この世界に一人しかいないと断言しています。聖書の神とは唯一の存在であり、英知と人格を持っているお方であり、この神は人間が知ることのできる存在であると言っているのです。

聖書の神を知る方法として3つの分野が挙げられることがあります。それは自然界と摂理(物事のすじみち)と啓示(神によって示されたこと)です。自然界においては、世界の美しさと宇宙の壮大さ、そして自然の秩序を見ることで神の存在を知れるということです。また摂理の面から考える時、無からは何も生まれないとすれば、宇宙や生命の起源には永遠に存在する知恵者(神)がいないと、世界の始まりは論理的に不可能であることを知ることができます。最後の方法である啓示とは、神が自らの存在、性質、人格を最も正確に人類が学ぶことができるように聖書に記録して下さったことです。

この聖書の神を知る旅は、まずは、この唯一の神が存在するという可能性に心を開くことによって始まります。この最初のステップがなければ、真の神に出会い、神を知っていくことは難しいでしょう。

聖書の神はどのようなお方か

『はじめに、神が天と地を創造された。』(創世記1:1)これは聖書の一番はじめに書かれていることです。聖書とは、神様の導きによって書かれた書物です。聖書を見ると「創造主」である神様がおられるとわかります。

聖書を通して、神様はご自分がどのようなお方か示されました。聖書の神は物体でも力(フォース)でもなく、英知と人格をもつお方であるので、敬意を示すために、ここでは神様と呼ぶことにします。この神様は私たちが神様を知れるように聖書を通してご自分のことを次のように説明しています。

神様には「永遠」という性質があります。なぜなら、神様は全世界ができる前から、いつも存在しておられるからです。

神様は「聖なる、聖なる、聖」なるお方です。それは、単に神が良いことをされているというだけでなく、あらゆる点で「純粋」で「完璧」という意味です。神様は「善」の基準を造られた方であり、神様には悪や間違いはありません。完全な神聖さのために、神様には不純や邪悪さがありません。神様は「全知全能」のお方です。私たちの行動の背後にある思いや動機も「すべてご存知」です。 神様は「あらゆるところに存在」でき、一度に一つの場所だけに限られることはありません。

神様はこの宇宙とその中にあるすべてのものを創造された方です。神様はご自身との関係を持つために人を創造し、溢れるばかりの愛をもって私たち一人ひとりを造られました。 神様は私たちの天の父です。神様は信頼に値するカウンセラーであり、私たちの人生のガイドです。また神様は知恵の源です。神様は私たちの必要を完全に満たすことができます。神様は愛です。神様の「ゆるし」には限界がありません。神様は私たちが他者への助けとなれるように、まず私たちを豊かに祝福してくださいます。

考えてみましょう

あなたの「神」に対してのイメージは変わりましたか?

私たちは聖書を通して神様がどのようなお方なのか知ることができます。しかし、「神について学ぶこと」と「神を知ること」は違います神様に関する情報を学んでも、神様と出会い、新たな関係を結ぶためには、神様があなた個人をどのように思われているかを知ることが大切です。神様はただ存在するだけでなく、今も生きて働いておられ、あなたの人生のはじめから終わりまで、あなたの為だけの計画と目的を持っていると言われるからです。

この聖書の神様が本当に存在しているのならば、あなたは神様と出会いたいと思いますか?

次の「2. 人間とは」では、人はどのような存在なのかについて学びます。

この章の内容についてさらに学ばれたい方は、後部付録 1. 神とはをご覧ください。


後部付録1. 神とは

聖書は、私たちは「神様について」知るばかりではなく、「神様を自分に親しいお方として知ること」ができると語っています。神様というお方を、知識だけではなく、個人的な関係を持って知っていくことができるのです。聖書では様々な表現で、神様と私たちの関係を表しています。例えば「父なる神」「私たちは神の子供」「神の家族」「友」「陶器師と陶器」「羊飼いと羊」、などです。この世を造られた創造主なる神様と、このような親しい関係を私たちが持つことができるというのは本当に驚くべきことです。

創造主なる神と八百万の神

聖書の神は、ご自身が唯一の真の神だと語っています。普段「神」という言葉は、この世の限界を超えた力を持つ、体や形を持たない存在を意味します。また、この世がうまく機能するために必要な特性や力を願い、人が期待している存在を作り出したりもします。それゆえ、日本では八百万の神々が存在すると言われるのです。これは、私たちの目で見える以上のものが存在することに対して意識があるゆえでしょう。けれども、そのような霊について示される神々は、聖書が語る神とは全く別物です。聖書が語る、創造主の神は、ご自分のなさることに限界がなく、永遠に存在し、物質的なものも霊的なものも全ての源であるお方です。

創造主なる神について書かれている聖書の箇所

  • 「はじめに、神が天と地を創造された。」
    (創世記1章1節)
  • 「すべての生き物といのちと、すべての肉なる人の息とは、その御手のうちにある。」
    (ヨブ記12章10節)
  • 「あなたこそ、私の内臓を造り、母の胎の内で私を組み立てられた方です。」
    (詩篇139編13節)
  • 「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手で造られた宮にお住みにはなりません。」
    (使徒の働き17章24節)

神のご性質

  • 人間、この地、また全宇宙を創造された。
    (創世記 1章1節, ヨハネ1章3節)
  • 罪がなく完全に聖い。不純や悪の中にいることができない。
    (レビ記 19章2節, 詩篇 99編9節, 詩篇 5編4節)
  • 完全。全能。何でもできる。
    (詩篇 18編30-32節, ルカ 1章37節)
  • 全知。過去も未来もこの世のすべてをご存知。一人一人の人生の歩みもご存知。
    (ヘブル4章13節, 詩篇 33編13-15節)
  • 時がない。常に存在しておられ、初めも終わりもない。
    (イザヤ46章9,10節, 黙示録22章13節)
  • 遍在。一つの空間に縛られず、同時に臨在できる。
    (エレミヤ 23章24節)
  • 不変。 変わらず、常に同じ。
    (ヘブル1章10-12節, 13章8節, マラキ3章6節)

その他にも神様に関する聖書の箇所

  • 良い父
    (ヤコブ 1章17,18節, 第一ヨハネ 3章1-3節)
  • 良い友
    (ヨハネ 15章13,15節)
  • 信頼できるカウンセラー、ガイド
    (詩篇 119編105節, 箴言3章6節, イザヤ42章16節)
  • 知恵の源
    (ダニエル2章20-22節, 箴言5章21節, イザヤ 40章28節)
  • 守り主、助け
    (第二サムエル 22章3節, 詩篇 46編1-3節, 34編4節)

  • (第一ヨハネ 4章8,16節; ヨハネ3章16節)
  • 希望
    (ローマ 15章13節, イザヤ 40章30, 31節, ミカ7章7節)
  • 「ゆるし」を与える
    (ミカ7章18節, 詩篇 30編3-4節, 第一ヨハネ1章9節)
  • みこころによってご計画を実現される
    (エペソ 1章11節)

私たちが他者の祝福となるように、まず私たちを祝福して下さる
(創世記 12, エペソ1章3節,ローマ8章32節, マタイ7章9-11節)