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2: 人間とは

目的をもって創られた

「神はこのように、人をご自身のかたちに創造された 。
神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。

(創世記1章27節)

神様はすべてのものを創造されたお方ですから、初めの人間もお造りになりました。神様は孤独や好奇心から人間を創造したのではありません。愛なる神様は良いお方なので、素晴らしいものをわかち合うために人間を造られました。それは、神様と人間が個人的な関係を持ち、人間が神様から与えられた全てを楽しみ、神様と共に生きることができるためです。

人間は他の動物とは違い、神様と個々の信頼関係を持つ対象として創造されました。また神様はご自分のかたちに人間をつくられたので人間にも理性、意志、感情が備えられ、神様を愛し神様のご計画と目的を理解できるようにデザインされています。人類全体としても、個々としても、私たちは偶然に存在する者ではなく、目的を持って造られているのです。

「神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。
それは非常に良かった。」

(創世記1章31節)

聖書は私たちが住んでいる世界は人間のために造られたと言います。神様がこの世界を「非常に良い」とされたとき、最後の仕上げとして私たち人間は造られたのです。聖書には、最初の人間アダムとエバについての詳細が書かれています。アダムとはユダヤの言葉で「人」を意味します。そして、エバとは「全ての母」を意味します。それは、私たちを含め、全人類はアダムとエバに続く子孫だからです。

神様はエデンという場所を地上に造られました。それは人間が神様と共に暮らす最初の場所として備えられた楽園で、アダムとエバは神様との素晴らしい愛に基づいた信頼関係の元に生活していました。しかし、それは長くは続きませんでした。

壊れた関係

すべてのものが神様によって造られたとき、それらは非常に良い状態で、自然と人間の関係、そして人間同士、さらに人間と神様の間係も完壁でした。ところが今はどうでしょうか。世界は多くの問題と災難で満ち、良くないものであふれています。それは人間関係についても同じです。つまり、すべては最初の「非常に良い」状態から離れているのです。それは過去に起こったある出来事が、現在の不完全な世の中をもたらしたからです。

「神である主は、人に命じて仰せられた。
あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べて良い。
しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。
それを取って食べる時、あなたは必ず死ぬ。』」

(創世記2章16-17節)

エデンの園には人間が食べることのできる実がある木々のうちに、一つの禁じられている木がありました。神様はその木から食べると死ぬと仰せられました。

「そこで、蛇は女に言った。『あなたがたは決して死にません。

あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、
あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを
神は知っているのです。』そこで女が見ると、その木は、
まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。

それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。」

(創世記3章4-6節)

神様を拒絶した悪魔という存在は、蛇の姿になって現れ「禁じられた実を食べても死なない」とアダムとエバを説得しました。それを食べると彼らは神様のようになり、善悪の基準を自分で決めることができると言ったのです。「賢くなれる」、つまり神様と同じレベルなるという悪魔の誘惑に負け、アダムとエバは禁じられた木の実を食べてしまいました。被造物である人間が、創造主である神様の権威に反抗したのです。この時から人間は、自分を満足させることしか考えることができない、最も自己中心な、最も欲望深い存在になってしまいました。

アダムとエバは自分たちの過ちを隠そうとしましたが、神様はすべてをご覧になることができ、すべてをご存知でした。愛なる神様は命令にそむいた彼らの近くに寄り添って語りかけられましたが、アダムとエバは隠れた場所から神様の前に戻ることもせず、自分たちの間違いを謝ることもなく、ひたすら責任転換の言い訳を並べました。神様と人間との間にあった、愛と信頼に満ちて完璧だった関係は「死んでしまった」のです。

神様とは完璧で聖く、義なる権威を持つお方です。そのため不誠実、不従順、不義、また不純さというようなものからかけ離れています。自分たちの創造主である神様に反抗したアダムとエバは、神様と共に住んでいたエデンの園から追放され、人間と神様との間には、埋めることができない亀裂が入ってしまいました。

このように、人類最初の人間は、創造主である神様に対立する罪を犯したので、世々に渡る子供たちは皆、「人の堕落」と呼ばれる、聖い神様から遠く離れた状態の中に生まれるようになってしまいました。このことは、神様がもともと意図されていた人間と神様との愛に基づく関係は壊れている状態であることを意味します。

壊れた関係の回復

けれども、罪は憎んでも人間を愛しておられる神様は、私たちと離れている状態をそのままにはされませんでした。神様は時を超えて変わらない約束を人類に与えて下さいました。それは、ふさわしい時に「救い主」というお方により、罪の問題を解決し、私たちと神様の関係を回復してくださるという約束です。

愛なる神様は私たちを見捨てることはなさいません。目的を持って私たち一人一人を創造なさっている神様は、神様を裏切って離れてしまったアダムとエバの子孫それぞれが、人類の歴史の中で存在するべき時と場所において神様と再会し、神様との関係を修復する道しるべを与えて下さっているのです。

それでは、神様はこの堕落した世界に生きている私たちをどのようにして救おうとしてくださったのでしょうか。それを知るためは、まず今の世界がいかに神様との関係において悪い状態にあるのかを知る必要があります。次の「3.罪とは」で見ていきましょう。

この章の内容についてさらに学ばれたい方は、後部付録 2. 人間とは?をご覧ください。


後部付録2. 人間とは

人間の役割

「神は仰せられた。『さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。』神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」

(創世記1章26-27節)

私たちは偶然に存在し、意味も目的も絶対的価値もない存在ではありません。私たちは一人一人、神の目的によって意図的に設計された、驚くべき創造物です。神様はこの世にある全てのものを、最もかけがえのない人間のための舞台として創造されました。人間は「創造の冠」としばしば言われます。なぜなら創造の目的の全てが、人間によって、また人間を通して知らされるからです。この聖書の箇所に見られるように、神はこの世界を創造した後、人間に「管理人」という重要な役割を与えました。

人間は、神のかたちに造られた、比類なき存在です。人間は、自然、動物、さらには天使など、他の創造物とは本質的に異なります。私たち人間だけが、創造主に倣った自由意志、思考、責任、愛情に基づいた関係などという特徴を持っています。それは人間が、この世において神様の姿を映し出すことができるために備えられたものです。これも人間に与えられた役割です。私たちが鏡として主の栄光をこの世に映しだすことによって、神の素晴らしさを反映することができるのです。人類の究極の目的は、神の栄光をお返しし、永遠に神を喜ぶことです。

人間の堕落による恥

初めの人間アダムとエバが堕落した(完全に聖い創造主から切り離された)ことにより、その後の子孫である人類全体にこの「人間の堕落の状態」が受け継がれてしまいました。これは丁度、一家の主が不祥事を行った場合、その一族全員が恥辱を受け継ぐことになるのと似ています。

神様の忠告に背いた行動の結果、アダムとエバは神様との愛に基づいた完璧な信頼関係を失いました。神様の前では隠すことは一つもなく、全てを知られても恥ずかしくなかった関係が、神様に知られたくない、自分の行動を問われたくない、隠れたい、というものになってしまったのです。このような神様に対する恐れを、日本語では「恥」と呼ぶこともできるでしょう。 私たちは神様を知らない時でさえも、自分の中に何か足りない、または隠したい、恥ずかしい部分があることを感じることがあります。その「恥」とは、神様の前で全部を安心してさらけ出すことができる人間の本当の姿が、堕落によって崩れてしまった傷跡とも言えるでしょう。